2010年03月
2010年03月31日
2010年03月30日
632.イモ神様 昆陽神社
以前、九十九里の青木昆陽不動堂甘藷試作地を訪ねたので、今回は千葉県のもう1ケ所の試作地幕張の馬加村甘藷試作地を訪れた。
1261)青木昆陽甘藷栽培試作地の碑(幕張)
京成幕張駅のすぐ前にありました。
門が閉まってて中には入れませんでした。ちょっと遠くて石に刻まれている文字までは見えない。
甘藷栽培試作地は他県にもあるようですね。県内では2ヶ所とのことです。
道路を渡ると昆陽神社がありました。おイモの先生という認識はイモ神様と変えなければならないと思いました。
1262)秋葉神社と昆陽神社
こちらの入口の鳥居には秋葉神社と書かれていて、もう一方の入口の鳥居には昆陽神社と書かれている。拝殿がふたつ並んでて、秋葉神社のほうが少し大きい。
平地に砂利が敷かれているだけでスッキリしすぎてるような感じ。
この下には道路が通っています。道路が地下に潜る前はあかずの踏み切りとして有名だったとか。
1261)青木昆陽甘藷栽培試作地の碑(幕張)
京成幕張駅のすぐ前にありました。
門が閉まってて中には入れませんでした。ちょっと遠くて石に刻まれている文字までは見えない。
甘藷栽培試作地は他県にもあるようですね。県内では2ヶ所とのことです。
道路を渡ると昆陽神社がありました。おイモの先生という認識はイモ神様と変えなければならないと思いました。
1262)秋葉神社と昆陽神社
こちらの入口の鳥居には秋葉神社と書かれていて、もう一方の入口の鳥居には昆陽神社と書かれている。拝殿がふたつ並んでて、秋葉神社のほうが少し大きい。
平地に砂利が敷かれているだけでスッキリしすぎてるような感じ。
この下には道路が通っています。道路が地下に潜る前はあかずの踏み切りとして有名だったとか。
2010年03月28日
631.飯岡助五郎を訪ねるの巻
天保水滸伝では東庄の笹川繁蔵と対立し悪役として描かれていた飯岡助五郎はこちらの地元飯岡では情に厚く心やさしく人の世話をよくし飯岡の漁業発展の為に努力したと評価されている。
1252)
飯岡助五郎の墓は光台寺にあります。
1253)光台寺
まわりのお墓をぐるりと探し回ったが、この本堂のほぼ正面にその墓はありました。
1254)飯岡助五郎の墓
普通のお墓です。
次に向かったのは玉崎神社。
1255)
こちらの神社の本殿は県指定の文化財になっています。
1256)飯岡助五郎の碑
手前に転がっているのは力石。この石を持ち上げて給料を決めたとか?
この神社には見所がいっぱいあります。
ページが重くなるのでなるべく写真の枚数を少なくしたいのですが、いくつか紹介。
1257)玉崎神社の石塁(石垣)
市指定文化財の飯岡石の石垣
1258)天の石笛
穴があいていて風で音がするそうです。
1259)竹久夢二の文学碑
他にも気になったものがいくつもありましたが割愛。
次に近くの定慶寺に向かいました。
1260)笹川繁蔵の首塚
討ち取った繁蔵の首を飯岡まで持ち帰ったということですね。
首をちょんぎっちゃうなんて昔の人は残酷です。
考えてみたら、昔の人のチョンマゲって、首を持つのにちょうどいい持ち手になってるように思えます。
1252)
飯岡助五郎の墓は光台寺にあります。
1253)光台寺
まわりのお墓をぐるりと探し回ったが、この本堂のほぼ正面にその墓はありました。
1254)飯岡助五郎の墓
普通のお墓です。
次に向かったのは玉崎神社。
1255)
こちらの神社の本殿は県指定の文化財になっています。
1256)飯岡助五郎の碑
手前に転がっているのは力石。この石を持ち上げて給料を決めたとか?
この神社には見所がいっぱいあります。
ページが重くなるのでなるべく写真の枚数を少なくしたいのですが、いくつか紹介。
1257)玉崎神社の石塁(石垣)
市指定文化財の飯岡石の石垣
1258)天の石笛
穴があいていて風で音がするそうです。
1259)竹久夢二の文学碑
他にも気になったものがいくつもありましたが割愛。
次に近くの定慶寺に向かいました。
1260)笹川繁蔵の首塚
討ち取った繁蔵の首を飯岡まで持ち帰ったということですね。
首をちょんぎっちゃうなんて昔の人は残酷です。
考えてみたら、昔の人のチョンマゲって、首を持つのにちょうどいい持ち手になってるように思えます。
2010年03月21日
2010年03月20日
629.藤崎森林公園
「房総の魅力500選」というものを何気にネットで眺めていたら、旧大沢家住宅というのが目にとまった。
現存するものとしては上総地区の最も古い様式の住居であるとのこと。
ということで、習志野市の藤崎森林公園に行ってきました。
1248)駐車場から入ったところの公園の風景
近所の人の憩いの場としての規模だが、それ以上に充実してると思う。
1249)旧木曽王滝森林鉄道の機関車
大正15年から昭和50年まで木材の運搬や地元住民の足として働いた機関車です。
木曽森林鉄道っていうくらいだから、木曽の山奥で走ってたものですよね。たぶん。
1250)旧大沢家住宅
管理人さんにより、かまどでは火が焚かれていました。
ちょっと煙っぽいけど管理維持の一環なんでしょうね。
千葉県指定の有形文化財です。
1664年(寛文4年)創建。昭和51年長生村から移築復元。
あとで思ったんだけど、この家には廊下(というのか縁側というのか)がなかったように思う。
現存するものとしては上総地区の最も古い様式の住居であるとのこと。
ということで、習志野市の藤崎森林公園に行ってきました。
1248)駐車場から入ったところの公園の風景
近所の人の憩いの場としての規模だが、それ以上に充実してると思う。
1249)旧木曽王滝森林鉄道の機関車
大正15年から昭和50年まで木材の運搬や地元住民の足として働いた機関車です。
木曽森林鉄道っていうくらいだから、木曽の山奥で走ってたものですよね。たぶん。
1250)旧大沢家住宅
管理人さんにより、かまどでは火が焚かれていました。
ちょっと煙っぽいけど管理維持の一環なんでしょうね。
千葉県指定の有形文化財です。
1664年(寛文4年)創建。昭和51年長生村から移築復元。
あとで思ったんだけど、この家には廊下(というのか縁側というのか)がなかったように思う。