2014年01月
2014年01月31日
2014年01月30日
2014年01月29日
1035.利根川コジュリン公園
東庄町のコジュリン公園です。
利根川大橋に入り始めて小さな川をひとつ渡るとすぐに左に入る道があります。
利根川と黒部川にはさまれた地点です。
左に入るとすぐに駐車場がありました。
そこに、天保水滸伝の石碑がありました。
2799)天保水滸伝の石碑
『利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟』と刻まれています。
笹川繁蔵と飯岡助五郎の物語、天保水滸伝ですね。
2800)利根川河口堰
2801)茨城県川の工場の煙突
そこから1キロぐらい進むと利根川コジュリン公園があります。
2802)利根川第一期改修発祥の地
2803)利根川治水百年記念モニュメント
「川の流れと共に歩んだ地域の苦楽」、「歴史の重み」を表現しているのだそうです。
2804)野鳥観察舎
上空を猛禽類のような鳥が旋回しているだけで、そのほかに野鳥は1羽も見えないし気配も感じませんでした。
2805)じゃぶじゃぶ池と思われる
辺り一面、一切何もありません。
遊歩道があって、草刈りされているだけといった感じでした。
2806)
飲料用ではなく、汚れた手足を洗うための井戸のようです。
利根川大橋に入り始めて小さな川をひとつ渡るとすぐに左に入る道があります。
利根川と黒部川にはさまれた地点です。
左に入るとすぐに駐車場がありました。
そこに、天保水滸伝の石碑がありました。
2799)天保水滸伝の石碑
『利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟』と刻まれています。
笹川繁蔵と飯岡助五郎の物語、天保水滸伝ですね。
2800)利根川河口堰
2801)茨城県川の工場の煙突
そこから1キロぐらい進むと利根川コジュリン公園があります。
2802)利根川第一期改修発祥の地
2803)利根川治水百年記念モニュメント
「川の流れと共に歩んだ地域の苦楽」、「歴史の重み」を表現しているのだそうです。
2804)野鳥観察舎
上空を猛禽類のような鳥が旋回しているだけで、そのほかに野鳥は1羽も見えないし気配も感じませんでした。
2805)じゃぶじゃぶ池と思われる
辺り一面、一切何もありません。
遊歩道があって、草刈りされているだけといった感じでした。
2806)
飲料用ではなく、汚れた手足を洗うための井戸のようです。
2014年01月28日
1034.田町門跡・愛宕坂
佐倉城址公園の入口付近には佐倉連隊跡案内図があります。
軍隊が駐屯していた時の跡地の案内看板が公園内に9か所ほどあるようです。
2796)佐倉連隊跡案内図
『明治7年、日本最初の軍隊歩兵第二連隊が佐倉に駐屯し、多くの部隊が編成・訓練され、西南戦争、日清・日露戦争にこの地から出征されました。
明治42年には、第二連隊にかわって歩兵第五七連隊が移転し、昭和19年のフィリピン戦で多くの命が失われ、壊滅しました。』
また、公園入口ゲート付近には「田町門跡・愛宕坂」の解説看板があります。
2797)田町門跡・愛宕坂
『成田街道に沿った城下町の一部「田町」から場内への門で、門の裏手に番所がありました。
現在暦博のある場所は椎木曲輪と呼ばれ武家屋敷がありました。
田町門から現在暦博のある椎木曲輪へ上がる坂は、愛宕神社の下にあるため「愛宕坂」と呼ばれていました。
現在の暦博入口は連隊建設の際にまっすぐに出入りできるように変更されたものです。』
入口ゲート付近に田町門があったと思っていいんでしょうか。
入口ゲートを抜けると坂道が続きますが、その坂道が愛宕坂だったんでしょうか。
2798)愛宕坂だったと思われる
軍隊が駐屯していた時の跡地の案内看板が公園内に9か所ほどあるようです。
2796)佐倉連隊跡案内図
『明治7年、日本最初の軍隊歩兵第二連隊が佐倉に駐屯し、多くの部隊が編成・訓練され、西南戦争、日清・日露戦争にこの地から出征されました。
明治42年には、第二連隊にかわって歩兵第五七連隊が移転し、昭和19年のフィリピン戦で多くの命が失われ、壊滅しました。』
また、公園入口ゲート付近には「田町門跡・愛宕坂」の解説看板があります。
2797)田町門跡・愛宕坂
『成田街道に沿った城下町の一部「田町」から場内への門で、門の裏手に番所がありました。
現在暦博のある場所は椎木曲輪と呼ばれ武家屋敷がありました。
田町門から現在暦博のある椎木曲輪へ上がる坂は、愛宕神社の下にあるため「愛宕坂」と呼ばれていました。
現在の暦博入口は連隊建設の際にまっすぐに出入りできるように変更されたものです。』
入口ゲート付近に田町門があったと思っていいんでしょうか。
入口ゲートを抜けると坂道が続きますが、その坂道が愛宕坂だったんでしょうか。
2798)愛宕坂だったと思われる