2017年10月
2017年10月31日
2017年10月28日
2017年10月22日
2017年10月18日
1578.浦安町役場跡
浦安市の清瀧神社から浦安駅方面に進み境川にさしかかったところに、浦安町役場跡がありました。
4956)浦安町役場跡
4957)ここは、昭和49年(1974)まで「浦安村(町)役場」の庁舎があったところです。
4958)大松
かつて、旧浦安町役場に隣接したこの場所に樹齢200年以上の漁師町浦安のシンボル的な名木があったそうです。
しかし、浦安橋が開通し交通量が増え昭和17年に枯れてしまいました。
4959)境川
境川は、江戸川の支流で長さ1.7キロほどの小さな川でしたが昭和40年からの海面埋立事業によって、川の長さも3倍の4.8キロになりました。
江戸時代には、人々は境川の両岸に密集して民家を建て、北川が猫実村、南側が堀江村として、それぞれ集落を発展させました。
漁業を生業としていた人々にとって「海への玄関口」として大切な役割を果たしていました。
かつては二千艘近くの船がびっしりと係留されていました。
しかし、昭和46年に漁業権が全面放棄されるとその姿を消し、漁師町の面影も失っていきました。
4960)
4956)浦安町役場跡
4957)ここは、昭和49年(1974)まで「浦安村(町)役場」の庁舎があったところです。
4958)大松
かつて、旧浦安町役場に隣接したこの場所に樹齢200年以上の漁師町浦安のシンボル的な名木があったそうです。
しかし、浦安橋が開通し交通量が増え昭和17年に枯れてしまいました。
4959)境川
境川は、江戸川の支流で長さ1.7キロほどの小さな川でしたが昭和40年からの海面埋立事業によって、川の長さも3倍の4.8キロになりました。
江戸時代には、人々は境川の両岸に密集して民家を建て、北川が猫実村、南側が堀江村として、それぞれ集落を発展させました。
漁業を生業としていた人々にとって「海への玄関口」として大切な役割を果たしていました。
かつては二千艘近くの船がびっしりと係留されていました。
しかし、昭和46年に漁業権が全面放棄されるとその姿を消し、漁師町の面影も失っていきました。
4960)