2018年04月
2018年04月30日
2018年04月28日
2018年04月27日
1678.吾妻号の碑
芝山仁王尊境内にある吾妻号の碑。
5303)
『吾妻号の碑の由来
文久元年(1861年)フランスの主産業である養蚕業が蚕の病気蔓延により、大打撃を受けた際、徳川幕府はこれを救済すべく、日本産の蚕を贈りました。
フランスはその返礼として、皇帝ナポレオン3世が第14代将軍徳川家茂に、7頭の馬を贈りました。
その内の1頭にアラブ種受胎の名牝がおり、幕府はこの牝馬を高砂と命名しました。
高砂は牝馬を生み、吾妻と命名し、その後、牡2頭、牝9頭を産し、我が国アラブ種の名牝馬といわれ、明治29年(1896年)「推定33才」で下総御料牧場にて死亡しました。
その業績をたたえる記念碑が大正11年牧場内に建立されましたが、成田空港の建設に伴い、関係深い当寺に移されました。』
5304)仁王門
5303)
『吾妻号の碑の由来
文久元年(1861年)フランスの主産業である養蚕業が蚕の病気蔓延により、大打撃を受けた際、徳川幕府はこれを救済すべく、日本産の蚕を贈りました。
フランスはその返礼として、皇帝ナポレオン3世が第14代将軍徳川家茂に、7頭の馬を贈りました。
その内の1頭にアラブ種受胎の名牝がおり、幕府はこの牝馬を高砂と命名しました。
高砂は牝馬を生み、吾妻と命名し、その後、牡2頭、牝9頭を産し、我が国アラブ種の名牝馬といわれ、明治29年(1896年)「推定33才」で下総御料牧場にて死亡しました。
その業績をたたえる記念碑が大正11年牧場内に建立されましたが、成田空港の建設に伴い、関係深い当寺に移されました。』
5304)仁王門