2014年04月23日
1109.鷺沼城址公園
習志野市の鷺沼城址公園。
習志野市役所の脇に菊田遊歩道という歩道があって、そこを歩いて行きます。
3076)菊田遊歩道
3077)鷺沼城址公園入口
3078)土が流れ落ちて根が剥き出しになっている崖を登ります
3079)鷺沼太郎源太光義の石碑
3080)A号墳の祠
3081)A号墳脇にあった埴輪
3082)B号墳
3083)鷺沼古墳B号墳箱式石棺解説板
『鷺沼古墳は、標高約十八mの八剣台の台地上にある数基の古墳からなる古墳群です。
このうち城址公園内にある二基の古墳は昭和四十一年の調査で全長二十~二十五mの前方後円墳
であることが確認されました。
西側のA号墳から出土した埴輪は下総型円筒埴輪という下総地方の独特の埴輪で、これをもとにA号墳は六世紀後半のものと推定されています。
東側のB号墳は、前方部と後円部の境目あたりで発見された二基の石棺の造りや埴輪が立てられてなかったことなどから六世紀末と推定されています。
石棺のうち一基はすでに破壊されていましたが、もう一基は無事でした。
この石棺は内のりの大きさがおよそ長さ二m、幅0・八m、深さ0・七mの箱式石棺で、南房総方面から運ばれたと考えられる砂岩・凝灰岩を金属製の工具で加工して造ったものです。
もとは蓋石が覆っていました。
石棺の中からは青年男子二体分の人骨片が発見され、直刀破片・土玉・鉄鏃・刀子などの副葬品も出土しました。
この時代に鷺沼を本拠地とした豪族がいたということと、房総の他地域との関わりを示すたいへん貴重な遺跡です。』
3084)箱式石棺
3085)B号古墳脇にあった馬の埴輪
3086)公園風景
習志野市役所の脇に菊田遊歩道という歩道があって、そこを歩いて行きます。
3076)菊田遊歩道
3077)鷺沼城址公園入口
3078)土が流れ落ちて根が剥き出しになっている崖を登ります
3079)鷺沼太郎源太光義の石碑
3080)A号墳の祠
3081)A号墳脇にあった埴輪
3082)B号墳
3083)鷺沼古墳B号墳箱式石棺解説板
『鷺沼古墳は、標高約十八mの八剣台の台地上にある数基の古墳からなる古墳群です。
このうち城址公園内にある二基の古墳は昭和四十一年の調査で全長二十~二十五mの前方後円墳
であることが確認されました。
西側のA号墳から出土した埴輪は下総型円筒埴輪という下総地方の独特の埴輪で、これをもとにA号墳は六世紀後半のものと推定されています。
東側のB号墳は、前方部と後円部の境目あたりで発見された二基の石棺の造りや埴輪が立てられてなかったことなどから六世紀末と推定されています。
石棺のうち一基はすでに破壊されていましたが、もう一基は無事でした。
この石棺は内のりの大きさがおよそ長さ二m、幅0・八m、深さ0・七mの箱式石棺で、南房総方面から運ばれたと考えられる砂岩・凝灰岩を金属製の工具で加工して造ったものです。
もとは蓋石が覆っていました。
石棺の中からは青年男子二体分の人骨片が発見され、直刀破片・土玉・鉄鏃・刀子などの副葬品も出土しました。
この時代に鷺沼を本拠地とした豪族がいたということと、房総の他地域との関わりを示すたいへん貴重な遺跡です。』
3084)箱式石棺
3085)B号古墳脇にあった馬の埴輪
3086)公園風景