多古町
2015年06月18日
2015年06月15日
1245.多古町の大師堂
多古町の井戸山に石芋大師の伝説が言い伝えられている。
3612)
このお堂の横は公民館のようになっていて、裏にまわると小さな池がある。
3613)
『井戸山 石芋大師の由来
昔むかし
ある夕暮れ時、農婦がこの清水井戸で里芋を洗っていました。傍らを通りすがった旅の僧が、農婦が洗っていた里芋を無心したところ、農婦はこの里芋は石のようにかたくて、煮ても焼いても食べられないと断りました。
旅の僧は念仏を唱えてこの場を立ち去った後、その農婦が里芋を家に持ち帰り鍋にかけて煮たところ、いくら煮ても石のようにかたく食べられそうにありません。
ふしぎに思った農婦は、里芋を洗った井戸端に捨てたのでした。
このことを聞き、やがて旅の僧が諸国行脚を続ける空海(弘法大師)であることを知った村人達は、清水井戸の傍らに小堂を建てて上人をお祀りしました。
翌年、煮ても食えない捨てた里芋から青々と芽が出て(現在の井戸野中央部)、村の畑の作物も良く取れるようになると、村人達は仏罪を恐れ仏威を感じ、信心を深めたそうです。以下略』
3614)
多古町のホームページによると、冬でも青々と芽をふいているのだそうです。
3615)
3616)この辺りに広がる風景
スーパーでお弁当を買って食べたら「多古米を使用しています」と書かれていた。
そのお米がとっても美味しく感じられました。
多古米、うんめぇ~!
3612)
このお堂の横は公民館のようになっていて、裏にまわると小さな池がある。
3613)
『井戸山 石芋大師の由来
昔むかし
ある夕暮れ時、農婦がこの清水井戸で里芋を洗っていました。傍らを通りすがった旅の僧が、農婦が洗っていた里芋を無心したところ、農婦はこの里芋は石のようにかたくて、煮ても焼いても食べられないと断りました。
旅の僧は念仏を唱えてこの場を立ち去った後、その農婦が里芋を家に持ち帰り鍋にかけて煮たところ、いくら煮ても石のようにかたく食べられそうにありません。
ふしぎに思った農婦は、里芋を洗った井戸端に捨てたのでした。
このことを聞き、やがて旅の僧が諸国行脚を続ける空海(弘法大師)であることを知った村人達は、清水井戸の傍らに小堂を建てて上人をお祀りしました。
翌年、煮ても食えない捨てた里芋から青々と芽が出て(現在の井戸野中央部)、村の畑の作物も良く取れるようになると、村人達は仏罪を恐れ仏威を感じ、信心を深めたそうです。以下略』
3614)
多古町のホームページによると、冬でも青々と芽をふいているのだそうです。
3615)
3616)この辺りに広がる風景
スーパーでお弁当を買って食べたら「多古米を使用しています」と書かれていた。
そのお米がとっても美味しく感じられました。
多古米、うんめぇ~!
2015年06月14日
1244.成就院木食上人入定塚
多古町大門の木食上人入定塚(もくじきしょうにんにゅうじょうづか)。
『木食上人は小松村(現神崎町)の出身で、15歳の時仏門に入り名を俊弁といった。大門まみあなの山中にこもって三年間苦行し、出でて諸国修行の後再び大門に帰って成就院を建立したと伝えられる。
俊弁は深く仏教を信じ、思想堅固、学徳兼備の僧として人々に尊敬され、また平生穀物や肉類を食わず木の実、草の根を常食として修行したと云われる。
上人は安産、子育てを念願とし、仏の教えと人の道を説いたがやがて即身仏となって民生の安定と幸福をはかろうと決意し、元文二年(1737)十月二十一日、成就院境内に石室を作り、断食行の後静かに入定した。 以下略』
3605)
3606)
ここの裏に入って行きます。
3607)
3608)これだと思うんですけど。
隣り合わせに稲荷神社があります。
3609)
3610)
3611)
ここから右方向に進むと先ほどの入定塚に出ます。
『木食上人は小松村(現神崎町)の出身で、15歳の時仏門に入り名を俊弁といった。大門まみあなの山中にこもって三年間苦行し、出でて諸国修行の後再び大門に帰って成就院を建立したと伝えられる。
俊弁は深く仏教を信じ、思想堅固、学徳兼備の僧として人々に尊敬され、また平生穀物や肉類を食わず木の実、草の根を常食として修行したと云われる。
上人は安産、子育てを念願とし、仏の教えと人の道を説いたがやがて即身仏となって民生の安定と幸福をはかろうと決意し、元文二年(1737)十月二十一日、成就院境内に石室を作り、断食行の後静かに入定した。 以下略』
3605)
3606)
ここの裏に入って行きます。
3607)
3608)これだと思うんですけど。
隣り合わせに稲荷神社があります。
3609)
3610)
3611)
ここから右方向に進むと先ほどの入定塚に出ます。