多古町

2015年06月18日

1246.多古の松崎神社

多古町の松崎神社には、県指定文化財の北条塚古墳と町指定天然記念物の松崎神社逆さ公孫樹があります。

3617)正面にそびえる大きなスギの木
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3618)社殿の飾り
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3619)松崎神社逆さ公孫樹
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『松崎神社逆さ公孫樹
松崎稲荷神社境内の周囲六メートル余りの公孫樹を人々は空海の逆さ公孫樹と呼んでいる。
これは弘仁年中(八一〇年~八二三)僧空海が諸国行脚の折、当社に参拝し、携えてきた公孫樹の杖を地に逆さに挿植して、後世まで繁茂せよ、と念じて立ち去ったという伝説にまつわるものである。以下略』

3620)北条塚古墳
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2015年06月15日

1245.多古町の大師堂

多古町の井戸山に石芋大師の伝説が言い伝えられている。

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このお堂の横は公民館のようになっていて、裏にまわると小さな池がある。

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『井戸山 石芋大師の由来
昔むかし
ある夕暮れ時、農婦がこの清水井戸で里芋を洗っていました。傍らを通りすがった旅の僧が、農婦が洗っていた里芋を無心したところ、農婦はこの里芋は石のようにかたくて、煮ても焼いても食べられないと断りました。
旅の僧は念仏を唱えてこの場を立ち去った後、その農婦が里芋を家に持ち帰り鍋にかけて煮たところ、いくら煮ても石のようにかたく食べられそうにありません。
ふしぎに思った農婦は、里芋を洗った井戸端に捨てたのでした。
このことを聞き、やがて旅の僧が諸国行脚を続ける空海(弘法大師)であることを知った村人達は、清水井戸の傍らに小堂を建てて上人をお祀りしました。
翌年、煮ても食えない捨てた里芋から青々と芽が出て(現在の井戸野中央部)、村の畑の作物も良く取れるようになると、村人達は仏罪を恐れ仏威を感じ、信心を深めたそうです。以下略』

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多古町のホームページによると、冬でも青々と芽をふいているのだそうです。

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3616)この辺りに広がる風景
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スーパーでお弁当を買って食べたら「多古米を使用しています」と書かれていた。
そのお米がとっても美味しく感じられました。

多古米、うんめぇ~!



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2015年06月14日

1244.成就院木食上人入定塚

多古町大門の木食上人入定塚(もくじきしょうにんにゅうじょうづか)。

『木食上人は小松村(現神崎町)の出身で、15歳の時仏門に入り名を俊弁といった。大門まみあなの山中にこもって三年間苦行し、出でて諸国修行の後再び大門に帰って成就院を建立したと伝えられる。
俊弁は深く仏教を信じ、思想堅固、学徳兼備の僧として人々に尊敬され、また平生穀物や肉類を食わず木の実、草の根を常食として修行したと云われる。
上人は安産、子育てを念願とし、仏の教えと人の道を説いたがやがて即身仏となって民生の安定と幸福をはかろうと決意し、元文二年(1737)十月二十一日、成就院境内に石室を作り、断食行の後静かに入定した。 以下略』

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ここの裏に入って行きます。

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3608)これだと思うんですけど。
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隣り合わせに稲荷神社があります。

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ここから右方向に進むと先ほどの入定塚に出ます。



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2014年09月01日

1150.木内家住宅

多古町の木内家住宅は国登録有形文化財となっています。
道路側から旧店舗と倉、主屋と並んでいます。

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2013年06月08日

982.旧興新小学校

多古町の旧興新小学校です。
テレビドラマの撮影に使われたこともあるようです。

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校舎の正面の木が特徴的です。

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門柱の片方には「興新小学校」の文字が残っている。
もう片方の門柱には「民俗文化財資料館」の看板が掲げられている。
でも、中を覗いた限りでは資料館としての役割は機能してなさそうです。



hobobousou at 22:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)