習志野市
2016年10月21日
2015年11月30日
1300.習志野の騎兵隊旅団跡
習志野市の京成大久保駅前の大久保商店街に秋山好古の顕彰碑があります。
3852)秋山好古の顕彰碑
秋山好古は、私も過去に読んだことがある司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公にもなり、「日本騎兵の父」とも言われた。
商店街をさらに進み八幡公園に行くと、騎兵旅団司令部の痕跡が残されています。
3853)騎兵旅団司令部の門柱
3854)騎兵連隊・旅団司令部跡の碑
3855)騎兵第一旅団司令部跡・軍馬の碑・軍馬忠魂塔
「坂の上の雲」の話はすでに殆んど覚えていないが、秋山好古は日露戦争で活躍したが、馬に乗って戦う時代は過ぎさりつつあるも、最後まで騎兵にこだわったというイメージとして私の心に残っていました。
3852)秋山好古の顕彰碑
秋山好古は、私も過去に読んだことがある司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公にもなり、「日本騎兵の父」とも言われた。
商店街をさらに進み八幡公園に行くと、騎兵旅団司令部の痕跡が残されています。
3853)騎兵旅団司令部の門柱
3854)騎兵連隊・旅団司令部跡の碑
3855)騎兵第一旅団司令部跡・軍馬の碑・軍馬忠魂塔
「坂の上の雲」の話はすでに殆んど覚えていないが、秋山好古は日露戦争で活躍したが、馬に乗って戦う時代は過ぎさりつつあるも、最後まで騎兵にこだわったというイメージとして私の心に残っていました。
2015年02月15日
1192.津田沼一丁目公園のK2形機関車134号
習志野市のJR津田沼駅近くの津田沼一丁目公園に蒸気機関車が展示されています。
3436)K2形機関車134号
『この蒸気機関車は、かつて、ここ津田沼に本部を置いていた陸軍鉄道第2連隊が使用していたもので、現在の新京成線敷内にあった陸軍演習線での機関車として活躍したものです。
この度、西武鉄道㈱ユネスコ村に保存してあったものを譲り受け、鉄道連隊ゆかりの、この津田沼一丁目公園に設置したものです。』
3436)K2形機関車134号
『この蒸気機関車は、かつて、ここ津田沼に本部を置いていた陸軍鉄道第2連隊が使用していたもので、現在の新京成線敷内にあった陸軍演習線での機関車として活躍したものです。
この度、西武鉄道㈱ユネスコ村に保存してあったものを譲り受け、鉄道連隊ゆかりの、この津田沼一丁目公園に設置したものです。』
hobobousou at 12:44|Permalink│Comments(0)│
2015年02月12日
1191.千葉工業大学の煉瓦門
JR津田沼駅前に贅沢に敷地を広げる千葉工業大学。
線路の反対側はイトーヨーカドーが占拠した感じの町並み。
3435)千葉工業大学の煉瓦門
この門は明治40年当地に移駐した陸軍鉄道連隊第三大隊(大正7年に鉄道第二連隊に改組)兵舎の表門として使用されていたものです。
第2次大戦後、千葉工業大学の校地になった後も、「工大の煉瓦門」として親しまれています。
平成10年5月、国の登録有形文化財に指定されました。
線路の反対側はイトーヨーカドーが占拠した感じの町並み。
3435)千葉工業大学の煉瓦門
この門は明治40年当地に移駐した陸軍鉄道連隊第三大隊(大正7年に鉄道第二連隊に改組)兵舎の表門として使用されていたものです。
第2次大戦後、千葉工業大学の校地になった後も、「工大の煉瓦門」として親しまれています。
平成10年5月、国の登録有形文化財に指定されました。
hobobousou at 12:52|Permalink│Comments(0)│
2014年04月23日
1109.鷺沼城址公園
習志野市の鷺沼城址公園。
習志野市役所の脇に菊田遊歩道という歩道があって、そこを歩いて行きます。
3076)菊田遊歩道
3077)鷺沼城址公園入口
3078)土が流れ落ちて根が剥き出しになっている崖を登ります
3079)鷺沼太郎源太光義の石碑
3080)A号墳の祠
3081)A号墳脇にあった埴輪
3082)B号墳
3083)鷺沼古墳B号墳箱式石棺解説板
『鷺沼古墳は、標高約十八mの八剣台の台地上にある数基の古墳からなる古墳群です。
このうち城址公園内にある二基の古墳は昭和四十一年の調査で全長二十~二十五mの前方後円墳
であることが確認されました。
西側のA号墳から出土した埴輪は下総型円筒埴輪という下総地方の独特の埴輪で、これをもとにA号墳は六世紀後半のものと推定されています。
東側のB号墳は、前方部と後円部の境目あたりで発見された二基の石棺の造りや埴輪が立てられてなかったことなどから六世紀末と推定されています。
石棺のうち一基はすでに破壊されていましたが、もう一基は無事でした。
この石棺は内のりの大きさがおよそ長さ二m、幅0・八m、深さ0・七mの箱式石棺で、南房総方面から運ばれたと考えられる砂岩・凝灰岩を金属製の工具で加工して造ったものです。
もとは蓋石が覆っていました。
石棺の中からは青年男子二体分の人骨片が発見され、直刀破片・土玉・鉄鏃・刀子などの副葬品も出土しました。
この時代に鷺沼を本拠地とした豪族がいたということと、房総の他地域との関わりを示すたいへん貴重な遺跡です。』
3084)箱式石棺
3085)B号古墳脇にあった馬の埴輪
3086)公園風景
習志野市役所の脇に菊田遊歩道という歩道があって、そこを歩いて行きます。
3076)菊田遊歩道
3077)鷺沼城址公園入口
3078)土が流れ落ちて根が剥き出しになっている崖を登ります
3079)鷺沼太郎源太光義の石碑
3080)A号墳の祠
3081)A号墳脇にあった埴輪
3082)B号墳
3083)鷺沼古墳B号墳箱式石棺解説板
『鷺沼古墳は、標高約十八mの八剣台の台地上にある数基の古墳からなる古墳群です。
このうち城址公園内にある二基の古墳は昭和四十一年の調査で全長二十~二十五mの前方後円墳
であることが確認されました。
西側のA号墳から出土した埴輪は下総型円筒埴輪という下総地方の独特の埴輪で、これをもとにA号墳は六世紀後半のものと推定されています。
東側のB号墳は、前方部と後円部の境目あたりで発見された二基の石棺の造りや埴輪が立てられてなかったことなどから六世紀末と推定されています。
石棺のうち一基はすでに破壊されていましたが、もう一基は無事でした。
この石棺は内のりの大きさがおよそ長さ二m、幅0・八m、深さ0・七mの箱式石棺で、南房総方面から運ばれたと考えられる砂岩・凝灰岩を金属製の工具で加工して造ったものです。
もとは蓋石が覆っていました。
石棺の中からは青年男子二体分の人骨片が発見され、直刀破片・土玉・鉄鏃・刀子などの副葬品も出土しました。
この時代に鷺沼を本拠地とした豪族がいたということと、房総の他地域との関わりを示すたいへん貴重な遺跡です。』
3084)箱式石棺
3085)B号古墳脇にあった馬の埴輪
3086)公園風景